電気はどこからやってきた?

都市の明かりがともる風景

スイッチをONにすれば使える便利な電気。電気はその発見と誕生以降、現代においてなくてならない存在となりました。この記事では、身の回りに起こる出来事に常に疑問を抱きながら「電気の謎」を解き明かした研究者たちと、彼らが解明した「電気」についてご紹介いたします。

電気とは

日々の生活で当たり前にしようしている「電気」、この電気の正体はいったい何でしょう?この章では電気の仕組みから「電気の正体」を探ってみます。

電気の仕組み

electric

地球に存在するすべての物体は「原子」と呼ばれる小さな粒子が組み合わさり構成されています。その「原子」と「原子」をつなぎ合わせる接着剤のような役割を担っているのが「電子」です。電気の仕組みにはこの「電子」が大きくかかわっています。

電気の流れ

電気は「電子」と呼ばれる小さな粒子が物質内を移動することで生じます。電子は通常、導体(電気を通す物体/例:金属など)を通って移動し、これが一定の方向に向かって行く流れができると「電流」になります。電気とは、「電子」が移動するこの現象をさし、電流はその流れ、と言われています。

原子とは

原子は物質を構成する最小の単位です。原子は中心に核(陽子と中性子/ようし、ちゅうせいし)を持ち、その周りを電子が軌道を描くように回っています。(例:酸素原子=O 水素子=Hなど)

陽子・中性子とは

「陽子」は原子の中心部(原子核/げんしかく)にあり、その電気的な性質(この性質を電荷/でんか といいます)はプラスで質量をもっています。同じく原子の中心部にある「中性子」は陽子とほぼ同じ質量をもっていますが、電荷はなく中性です。中性子は原子核の中で陽子とのバランスを取りながら原子核全体をまとめていると考えられています。

電子とは
原子

「電子」は原子の外側で軌道を描くように回転する小さな粒子で、原子同士を結び付け、分子を作り出します。電子はマイナスの電荷を帯びており、化学反応や物質の性質は原子内の電子の配置によって決まります。

分子とは

「分子」とは複数の原子が特定の結合で結びついたものです。同じ種類や異なる種類の原子が結合し、構成されます。(例:酸素分子=O₂ 水分子=H₂O など)

電気発見、発明の歴史

前章でお伝えした「電気の仕組み」は、多くの研究者や化学者の地道な努力により発見、研究の末、便利に利用できるようになり現代にいたります。この章では様々な種類の「電気」発見の歴史と、それらが現代社会にどのような影響をもたらしているか、活躍している場面をお伝えします。

静電気の発見

静電気で髪が爆発

古代ギリシャ時代、ミレトス地方の哲学者で自然哲学の先駆者として知られていたターレス(Thales/紀元前624年から紀元前546年頃に活動)が、ある現象から「静電気」を発見し、観察したとされています。その詳細を確認していきましょう。

物体を引き寄せるものの正体は

琥珀(静電気の始まり)

ターレスはギリシャ語で「エーレクトロン/ἤλεκτρον」と呼ばれる琥珀(アンバー/Amber)を布などでこすると、琥珀が小さな軽い物体を引き寄せるという現象を発見し、この不思議な出来事の観察を続けました。彼はこの特異な現象を「電気的な性質」と呼び、これが物体間に働く一種の力であると仮定しました。当時の人々には現代で解明されている電気の概念や理論はなかったため、その現象が何であるかを正確に理解することはできませんでした。約2000年の歳月が経った後、琥珀以外の物でも同じ現象が起きることを発見したのは、イギリスの物理学者ウィリアム・ギルバート(William Gilbert)でした。彼は琥珀に起きた引き寄せの現象を「琥珀=ギリシャ語のエーレクトロン」という言葉に因んで、「エレクトリック(electric)」と呼び、現代も使われている「電気」を表す「エレクトリカル(electrical)」もまた、ここに由来しています。

ターレスの発見と観察の成果は古代ギリシャにおける科学的な思考の端緒となり、後の時代の自然哲学者や科学者たちがさまざまな実験や観察を通じて、物質の性質や自然の法則に関する研究を進展させる基盤を築きました。

ターレスを魅了したこの現象を現代では「静電気」と呼んでいます。

雷とは何か

雷の風景

幼いころ「雷様が来たからおへそを隠して」なんて言われたことはありませんか?大きな音と稲妻、そして「おへそを取られる」という恐怖から雷は「怖い」ものとして印象付けられていました。「雷は電気である」と解明される以前の人々は「雷」をどのように理解していたのでしょうか。「雷=電気」と発見したその実証実験も含め、雷についてご紹介します。

文化の違いで変わる!雷に関する神話

ギリシャ神話に現れる神様「ゼウス」は雷の神様です。彼は雷光を発生させる武器を持っており、その光は神々や自然を制御した、とされています。そのほかノルディック神話では雷神がもつハンマーから雷が発生し、人々の生活を守った、と語り継がれ、アフリカでも雷は神聖なものとして、生命や創造力の象徴となり、信仰されていました。このように、雷は自然界の力としてだけではなく、人々が抗えない神聖であり神秘的な力として理解されていました。

雷の正体を解き明かした危険な実験

フランクリンの凧実験の様子

アメリカ合衆国の建国に大きく貢献したベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)は、物理学、気象学など複数の分野で活躍した偉大な人物です。彼の有名な「凧実験」は「雷は電気」の実証として知られていますが、その実験自体は危険が伴い、「絶対にまねをしてはいけない実験」の代表例とされています。概要を以下に示します:

フランクリンは、静電気を蓄える装置であるライデン瓶を使用して、雷からの電気を集める実験を行い、成功を収めました。この実験により、雷が静電気の一形態であることが明らかになり、更に電気を引き寄せるためには先端が鋭い金属が効果的であることが分かりました。同時に、引き寄せた電気を地面まで流す仕組みも解明されました。この仕組みから、「避雷針」と呼ばれる雷災害を防ぐための装置のアイディアが生まれ、現代でも使用されています。「避雷針」は人々の生活や財産を雷から守る重要な装置として機能しています。

雷はなぜ発生するか

雷雲

静電気である「雷」はどのように発生し、あの凄まじい稲妻や爆音をとどろかせているのでしょう?積乱雲や雷雲は大気中の湿った空気が上昇し、冷えることで誕生します。雲の中では上昇気流によってできた水滴や氷の粒子が衝突します。この衝突により、電子の移動が起こり、電気が発生します。発生した電気は雲の中に蓄積され、一定量を超えたり、そのほかの条件を満たしたりすることで放電が始まります。「雷」の誕生です。雷の電気が流れると、電気が流れた通り道の温度は10,000度以上にも達するといわれており、この高温によって稲妻が発生します。また、突然熱くなった空気は爆発するかのように急激に膨張し、その振動が音として広がります。

電池

屋外でも気軽に電気を使うことができる電気の源「電池」。実は全く違った実験から電池を考えるきっかけが生まれます。化学変化を利用して生まれた「化学的な電池」、この章では「化学電池」にまつわるエピソードと電池発明に携わった研究者たちを紹介します。

カエルの解剖で見つけた電気

イタリア、ボローニャ地方出身の医師であるルイージ・ガルヴァーニ(Luigi Galvani)はカエルの解剖中、2つの金属(解剖用のメスという説もあります)が足に触れると足がけいれんしたように動くことを発見します。「生体と金属との接触によって電気的な力が生じる」この現象から、彼は「電気は動物の筋肉」の中で発生する物と考えていたといわれています。この「金属」と「動物組織」の接触による電気発生の化学反応は、その後開発される電池の考え方の基礎となります。

「電気は生体内で発生論」をひるがえす実験

ボルタの電池応用

イタリアの物理学者であるアレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ・アナスタージオ・ヴォルタ(Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta)はガルバーニとは異なる見解を持っていました。彼は異なる金属と湿った物質を用いて電気を生成する実験を行い、1799年に最初の実用的な電池を発明します。この発明は後に「ヴォルタ電池」として知られ、電池技術の基盤となりました。ヴォルタ電池の原理と構造、そしてその重要性について確認していきましょう。

ヴォルタ電池とは

ヴォルタ電池は、異なる金属(通常は亜鉛と銅)を交互に積み重ね、これらの金属を湿った物質(当初は食塩水だったといわれています)で挟むことで構成されていました。その原理は、2種類の金属と電解質(湿った物質)との接触によって化学反応が生じ、それが電流を生むというものでした。亜鉛と銅は電解質によって化学的に反応し、亜鉛が電子を放出し、電子が移動することで電流が発生します。

化学反応式 負極:Zn→Zn²⁺+2e- 正極:2H⁺+e-→H₂

積み重ねの効果
ヴォルタの電池

ヴォルタは亜鉛と銅、電解質の組み合わせを複数つくり、それらを直列に積み重ねることで生じる電圧を利用しました。これにより、より高い電圧が生成され、この積み重ねられた物体は「電堆(でんたい)」と呼ばれています。

貢献

ヴォルタ電池の発明で、当時としては多くの電気を溜めて使用することができるようになり、初めて定常的で安定した電気供給が可能となりました。その後「電堆(でんたい)」に使用する電解質を食塩から希硫酸に変更するなど、改良は続き、後の時代の電池技術や電気学の発展に大きな影響を与え、彼の発見は現代の電池技術の基礎を築くことになります。ヴォルタの貢献は、電池技術だけでなく、電気学の進展にも寄与し、その栄誉から、彼の名前は電圧の単位である「ヴォルト(V)」として使用されています。

進化した電池

イギリスの化学者ジョン・フレデリック・ダニエル(John Frederic Daniell)が1836年に発明した電池を、その名にちなんで「ダニエル電池」と呼びます。ダニエル電池もヴォルタ電池同様化学反応を利用した「化学電池」で、ヴォルタ電池と比較すると、耐久性に優れていたといわれています。

(ー)Zn|ZnSO4|CuSO4|Cu(+)

ヴォルタ電池とダニエル電池の違い

ダニエル電池は、銅、硫酸水溶液、亜鉛で構成され、これらの金属が化学反応をおこし、電気を生成します。硫酸水溶液は硫酸亜鉛水溶液と硫酸銅水溶液を使用し、水溶液を仕切りで区分けする、など工夫することで2つの水溶液が混じることなく、また水素が発生しない状態を作り出します。ヴォルタ電池の弱点といわれていた「銅」への水素付着による電圧の低下(この現象を分極作用と呼びます)を克服したダニエル電池は、当初は長時間安定した電流を供給するために使われましたが、電解液の扱いにくさなどから後に開発される「乾電池」が実用化されています。

こぼれ話:アメリカのペリーが日本に訪れたさい、お土産に「ダニエル電池」を持参した、と言われています。

電池づくりにコーンスターチを使った!?

フランスの電気技師、ジョルジュ・ルクランシェ(Georges Leclanché)は、電解質に液体を使わない、持ち運びが可能な電池の研究を行い、水溶液にコーンスターチを混ぜ、ゲル状にすることでそれを実現させました。しかし、ゲル状の溶液はこぼれにくくなったにとどまり、完全に「こぼれない」状態というわけではありませんでした。彼が発明した電池は「ルクランシェ電池」と呼ばれ、現在のマンガン電池の原型ともいわれています。

特許申請できなかった屋井先蔵

そしていよいよダニエル電池、ルクランシェ電池の弱点である「こぼれる電解液」を克服した電池が誕生します。1888年ドイツのガスナーは電解液を石こうで固めた持ち歩き可能な「乾電池」を発明し、特許を得て発明者として名を残しました。その数年前、日本の屋井先蔵(やいさきぞう)は独自の方法で乾電池を作りましたが、特許出願の費用を工面できませんでした。のちに彼が考案した電池が、シカゴ万国博覧会に出展した地震計に採用されるなど、彼の発明、開発へ情熱の火は消えることはありませんでした。

現在使用されている電池

多くの失敗や発明を繰り返し、現代は簡単に持ち運びができる乾電池が多く流通しています。1900年以降になると、マンガン電池よりも長く使用できるアルカリ電池やリチウムを主成分とする電解質を使用し、高い電圧を得られるリチウム電池、充電すれば繰り返し使用できる充電式電池など、多種多様な電池が開発されました。現代では家電をはじめ、各種産業や災害時に至るまで、電池は活躍の場を広げ進化を続けています。

まとめ

配電している様子

古代ギリシャのターレスと、2000年の時を超えフランクリンが行った雷による実験などにより、静電気に対する理解が深まり、やがて化学反応による電子の移動から生じる電気を貯めた電池が生まれ、電気の新たな側面が開拓されます。様々な出来事を通じて、スケールの違いがあるにも関わらず、静電気と電池の本質が共通していることが明らかになりました。物質が帯電する現象から始まり、化学的なプロセスによって電気エネルギーが供給される仕組みまで、これらの知見は私たちの現代社会において不可欠なものとなっています。静電気と電池の研究は、科学と技術の進歩を促し、新たな発見と応用の可能性を広げています。